2010年06月21日

じゃあ、この子たちの家庭は?

前記事「マイホーム・ドリーム」の続きです。

昨日面接を受けた子たち。
shyboy.daddy.jpg
この子はシャイボーイでした(笑)我が子を見つめる眼に父親らしさを感じますな。そういえば今日父の日でしたね。世界のお父さん方、おめでとうございました。

620interview.jpg
権兵衛さん(手前)が奨学生候補とその母親を相手に面接を行っているところです。


こんな家族だって、そりゃあ立派なお家を夢見るんだろうなぁ。

我が子を学校に送り出すので精一杯の両親だって、本当は子供と一緒に立派なお家に住みたいんだろうなぁ。


日本だって同じだろうけど。



medals.jpg
ある学生の家。成績が優秀な生徒には、こうやって年度末に学校からメダルが授与されて表彰されます。
どこも小さな家だけど、多くの家にはこんなメダルが大事に飾ってあります。

headonly.jpg
頭隠さず尻隠す。

girl.mom.jpg

hammok.jpg


「物質的には豊かでは無いけど、彼らはとても幸せそうに生活している」

とかよく言うけど

何なんだろうか…。確かにそう感じることもある。

でも、やっぱりどこか他人事として捉えている。

もちろん、結婚でもしない限り他人と家族という大きな壁が存在するのは当たり前なことだし。



「お父さんが会社を首になりました。暫く新しい仕事を探したけど近くでは見つからないので、中東に大工として出稼ぎに行きました。」

自分の家族の事を考えて、リアリティがない。

そして、フィリピン人にとってはその方が稼ぎが断然良いという事実。



「うちにはお父さんがいないので、お母さんは毎朝アイスキャンディを作って町に売りに出かけて、お祖母さんが近所のお家の雑用をやってお小遣いを稼いでいます。」


ぐるぐる。


続く。
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posted by ぷー at 01:01 | Comment(7) | NGO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あたしは、春にマニラのごみやまの人たちと接してきたけど、幸せそうに見えたし、彼らも「家族が一緒だから幸せ」って言ってた。別に孤児院に行ったんだけど、その子たちのほうが「幸せ」そうじゃなかっていうか(←失礼かもだけど)うん。そんな感じにあたしは思ったよ。
まあ、ごみ山の衛生状況はどうにかしなきゃだけどね!

やっぱ家族って大切だよね!
Posted by おぞん at 2010年06月21日 18:48
幸せってなんなんだろう。
確かにフィリピンの人たち見てると素敵だなーって思うこといっぱいあるけど、みんな生活をよくしようって思ってて、それは日本人もフィリピン人も一緒で。
昔の日本も小さい家に大家族で住んで必死になって働いて少しでもいい生活をしようってしてて。今はあの頃はよかったなんて言う人もいるけど豊かになって自殺者増えて。幸せ?
でもみんなの羨む日本になったわけで。

でも働いた分の給料はもらうべきで、仕事はしたいならあるべきで。南アフリカの失業率90%。。。
貧富の差はなくならないけどなくなるように願う。
Posted by カツカフ at 2010年06月21日 20:22
幸せってなんなんだろう。
確かにフィリピンの人たち見てると素敵だなーって思うこといっぱいあるけど、みんな生活をよくしようって思ってて、それは日本人もフィリピン人も一緒で。
昔の日本も小さい家に大家族で住んで必死になって働いて少しでもいい生活をしようってしてて。今はあの頃はよかったなんて言う人もいるけど豊かになって自殺者増えて。幸せ?
でもみんなの羨む日本になったわけで。

でも働いた分の給料はもらうべきで、仕事はしたいならあるべきで。南アフリカの失業率90%。。。
貧富の差はなくならないけどなくなるように願う。
Posted by カツカフ at 2010年06月21日 20:24
エラーでごめん笑
Posted by at 2010年06月21日 20:26
>おぞんさん
Aさんがいう「私は幸せ」とBさんがいう「私は幸せ」、Cさんがいう「私は幸せじゃない」、これって本当に比較できないものだよなぁ。ほんっとうに、むずかしいなぁ。つまり幸せなんて言うのは自分の心の枠を1nmでもはみだした外側からは計れないもので、そんなわけだから、むしろ誰の「幸せ」とも比較できないから、自分が誰かより「幸せ」かどうかなんてわからないわけで。
比べたら終わりなのかもしれない。
日本政府は「幸福度を示す指針」を開発すると言ってるけど。
最後は、自分。
でも、その、「自分」をもってる誰かの幸せについて考えるのはとっても自然なことで。
みんなが、みんなの「現状」に満足できるようになれば、というかそれに少しでも近づきつつあると自覚できれば、信じられれば、世界に存在する幸せの絶対量は増えていくのかな。
だから社会は絶望を生産してはいけないね。
Posted by hide at 2010年06月25日 01:43
>カツカフさん
人間が、人間によって治め合っている以上、このぐるぐるは消えないんだろうな。
「上を見たらきりがない」ことは分かっているけど、それでも上を見たがるのは人間の性か?
貧富の差がなくなることを自分はダイレクトには願えないかもしれない。
あるべきじゃないことぐらいわかっているけど。
皆が同じ水準で生活してたら、どうなってしまうんだろう。
「経験してみないとわからない事」が世の中には多すぎるな。経験できることもその中にはあれば、できないものもある。
身内には“良い生活”を送ってほしい。
どんな人にも身内はいる。
身内がいない子どもと接しているわけか、今自分は。
色々考える。
Posted by hide at 2010年06月25日 01:49
>hide
自分のコメントに追記。
「『現状』に満足する」には2つのアプローチがあるな。ひとつは求める「現状」のスタンダードをいまある「現状」に近づけること。もう一つは、当然、求める「現状」にいまある「現状」を引き上げること。以上。
Posted by hide at 2010年06月25日 01:52
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