2010年10月25日

集団を動かすという事。

最近、集団を動かすことの難しさを身をもって感じています。

ある集団が在って、その中の一人ひとりに個人差があるのは当然。
ここでいう個人差って言うのは、好みも、傾向も、忍耐力も、ある意味能力や才能さえも含まれます。

そんな一人ひとりの構成員が集まってグループを形成し、グループとして行動する時に、
いかにグループのパフォーマンスを最大化できるかそしてそのグループとして行動する意義を最大化できるか

なんらかの理由があってメンバーはそのグループに属しているわけですが、
そんな彼らがグループに参加する意義グループの中での存在意義グループそのものの存在意義を意識的あるいは無意識にでも感じられていないと、グループはきっとうまく機能しない。


自分自身、正直に言うとグループ行動、集団行動は苦手です爆弾
なので、どちらかというと一人で行動することの方が多いと思います。
やりたいことはちゃかっと自分で全部やっちゃいたい人間です。
これは仲の良い友人はよーくわかっていることだと思いますが(苦笑)

ただ、いざ自分のやりたい事を形にしようとするとき、一人ではできないこと=集団でないとできないことって必ずあるんですよね。

そして、同時に、自分のやりたいことが集団を巻き込むことそのものだったりもする訳です。

そこで、上に書いたようなジレンマにぶつかる。

やりたいことがあるのは自分で、それを実現させる為にグループを組織し、集団として行動していく。
ただし、全員違うマインドを持っているわけで、必ずしも自分のやりたいように全員が思うわけではなくなっていく。

やがて、「グループの意思」は、個人の意志とは無関係なところに確立されていきます。
グループが、グループとしての主体性を、キャラクターを持ち始めます。


さて、そんなグループの中で、いかに自分のやりたい事を実現させていくか。
各メンバーのやりたい事を実現させていくか。
グループとしてやるべきことを実現させていくか。
パフォーマンスを最大化させていくか。

世の中には一人として同じ人間がいない様に、一つとして同じグループは存在しない。
だからこそ、それぞれのグループを育てていく上で試行錯誤しながらやっていくしかないんだな、と思います。


さらに、個人でも同じことながら、
「自分パターン」
って勝手に自分の中に出来上がってます。

この場面では黙っているのが自分、この場面では笑っておくのが自分、この場面では走るのが自分、というように。

自分がどういう人間かという自分像をどこかで描き、これは第2者、第3者目線で自分をどう映したいかという部分も大きく働くと思いますが、そのパターンの中で自分の行動を決定してます。
(ちなみに、自分を変えたい、変わりたいと思っている人は、この自分パターンを発見し、パターンから外れた行動をとってみるのが唯一の方法だと自分は思ってます。同じ状況で昨日ならしなかったことを今日はする、しかも本能的に「やりたいように」する、ってこと。)
これは集団の行動パターンについても同じことが言えます。

決して悪い事だとは思いません。
が、常にグループの機能を最善に近づけようと試行錯誤していれば、どこかのポイントで
「パターンから外れたアクション」が起きる必要があります。

大きく言えば、それは革命のようなモノかもしれない。


その「脱パターン行動」が“起こせる環境か”って言うのも実際にアクションにつなげるには大きな要因であって、
例えばカリスマ的人物の存在、いつでも自由にモノを言える雰囲気など、「制度」「システム」だけには還元できない、非常に各個人のキャラクターやグループ内の人間関係の性格に依存する話でもあります。


僕が参加している中央大学のサークルPocoPocoでも、最近この辺の話をみっちりやりました。

このグループの場合、「サークル」なので各自の自由意思で結集してるわけです。
だから、大前提として「参加したい」というモチベーションがメンバーを結びつけているのです。

ただ、人間個人と同様に、グループそのものの性質も絶えず変化していくので、
必ずしも参加した時点での程度のモチベーションをグループに対して持ち続けるのは不可能で、
それは大きくなるかもしれないし、小さくなるかもしれない。

そこで、全員が「参加したい」と思い続けられるようなグループ運営、さらにはグループ機能を最大に発揮するという2点が必要。
自分たちのグループには、どういう方法が合っているのか。
これは、常に考えていないと流されていく話で、だんだんとグループの価値、意義、存在そのものも薄れていき、魅力も無くなっていきます。

自分は、このサークルを立ち上げた張本人として、やはりこのアクションを仕掛ける役割を担うべきだとも思いますし、だからと言っていつまでも自分がやっているわけにもいきません。

要は
「考えないと考えない」
ってことだと思います。

何か考える必要がある時って、わざわざ考える場を作ったり考える時間を取らないと、考えなんてまとまらないんです。

考える勇気?っていうか。

考えずに突き進んでいくこともできますが、いつか、そのたどってきた道が砂でできた円柱の様なものだったと気付かされる時が来ます。


shy.jpg

例えばセカンドチャンスの子どもにいま自分はピアニカを教えてるわけですが、
年齢も違えば性格も違う、なかには呑み込みのはやい子もいれば、一種の才能を感じる子もいます。逆も然りです。

上手にできる子だけがやればいいのかもしれないし、確かに上手な子にとってはその方がやりがい感じられるかもしれない。これも一つの方法。
ただ、せっかく「セカンドチャンス」というグループでやっているプロジェクトだから、このグループである意義、この50人の子供たちで構成されたグループだからこそ出来ることをやりたいですよね。

だからきっと、それぞれがそれぞれに果たせる役割っていうものを見つけていってあげるべきですね。

年少の子どもに出来ること。
歌が上手な子に出来ること。
ピアニカの上達が早い子に出来ること。

みんなが、グループの中で「自分に果たせる役割」を認識することで、きっとやり甲斐を感じられるし、グループのエネルギーも高まっていく。

それでいて、全体として一つのモノを作れれば、最高だな。

合奏って言うのは、そういう意味でものすごく理想的な形だと思う。

それぞれが違うパートを演奏しながら、全体では一つの大きな音楽を作るんです。


ハーモニーとか、アンサンブルとか、そういう言葉の持つ意味、ますます噛みしめながら。

eehhh pianica.jpg

自分達にしかできない事を、自分達のやりたい事を、そして自分のやりたい事を、やっていこう。

多分、今日の記事に書いたような事って、人から聞くとそうなんだって思うかもしれないし、聞いてる分には当然だなって思うけど、
実際に自分がグループ運営に関わって初めて、リアルのものとして掴めた。
やっぱり人間は、複数の集団に何らかの形で関わって、複数軸の自分を生きることが大事だなぁと思う。
ある時はリーダー、あるときは後輩、ある時は…。これがないと、人間ってうまく生きていけないだろうなー。


ちなみにPocoPocoが9月にセブで行った活動も、メンバーから写真が届き次第ひでぶーでも紹介させてもらいますので、お楽しみに!
来月には中央大学にて9月訪比の報告会も開催しますので、お近くの方はぜひ足をお運びください!
報告会ビラ.jpg

さらに!12月にはフィリピン・ドキュメンタリ映画祭映画(的なもの)も開催予定です。

こちらはまだ詳細が確定しておりませんが…このイベント…

フィリピンからひでぶーが駆けつけます!!!

ぜひ僕に会いに来てくださいね犬(笑)

サイト随時更新中! ♪NPO法人セブンスピリットアジアの子どもたちにクラシックを届けるUUUオーケストラプロジェクト
posted by ぷー at 14:26 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
集団を動かすには 簡単なことです 各グループに分け其の中でリーダー的存在感の有る人間にリーダーをさせます そしてリーダーに自分の意思を伝えます 後はリーダーに任せます
ピアニカであれば ちゃんと演奏でき人に教えたくてうずうずしている子にやらせます
教えるってことは自分の復習にもなる 
一人でやるには限界があります でも自分をサポートしてくれる子を作り上げるのも貴方の仕事だと思います

上記は私が海外で仕事をする上で用いる手法ですそして 人に教えると言う事はフィリピンには無い文化です 欧米にも この回答は多分権兵衛に聴いた方が為になると思いますので(笑)がんばれよ〜 若いんだからさ 悩んで苦労してくれ 今度行ったら1杯奢るからさ!(笑)
Posted by b at 2010年10月25日 19:54
>bさん
そうですね、学んだ人間が教える側に回るサイクルが理想的だと思いますし、教えるのも一種の才能ですからね。学んだことを、得意なことを活かせる場を作っていきたいと思います。
ありがとうございます!
Posted by hide at 2010年11月06日 22:12
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